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京都地方裁判所 昭和49年(わ)970号 判決 1977年3月24日

主文

被告人を懲役三年六月に処する。

未決勾留日数中六〇日を右刑に算入する。

訴訟費用中、証人松本譲、同山本恵三、同棚橋敏に支給した分は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、かねて個人の「絶対自由」を理想と考え、組織や集団はこれを抑圧するものとして反感を抱き、高校卒業後受験浪人をしている頃から街頭デモに参加するなどしていわゆるアナーキストグループと交際し、昭和四四年四月に私立大阪芸術大学に入学して間もなく、自ら中心となり同大学闘争委員会を結成して大学当局と対立し、同年一〇月二日に同大学の封鎖を図つていわゆる大阪芸大事件を起こすに至つたが、この間、京都大学、花園大学等の学園紛争にも参加し、その機会に杉本嘉男、大村寿雄らと知りあつたものであるところ、同月一七日午後六時ころ、右大村からの電話連絡により京都市東山区本町五丁目一九三の右杉本方に赴き、同人方二階において右大村及び杉本ほか三名の者が集つた席上、右大村が、「今晩公安調査局に爆弾を投げるが、誰か投げるか。」と呼びかけたのに対し、他にこれを応ずる者もなく、また公安調査局は被告人が反感を抱いていた国家権力の象徴的存在であるうえ、当時関西にはいわゆる爆弾闘争事件もなかつたことから、これを爆破すればマスコミにもとりあげられると考えて、爆弾の投てき役を引き受け、ここに右大村と共謀のうえ、京都地方公安調査局に爆弾を投げ込むことを決意し、同日午後八時ころ、同人の運転する乗用車で右杉本方を出発したが、その途中、車内で右大村から煙草のピース缶にダイナマイト及びパチンコ玉数個などが充填され、その上蓋にあいた小孔から導火線が引き出されたいわゆるピース缶爆弾一個を手渡され京都市東山区馬町通東大路西入る下新シ町三三九番地京都地方公安調査局付近をしばらく右乗用車で周回して、右爆弾を投てきする機会を窺つているうち、人通りも少くなつた同日午後一一時三〇分ころ、右大村を付近路上に駐車した右乗用車内で待たせたうえ、治安を妨げかつ人の身体財産を害する目的をもつて、同局正面玄関前路上において、右ピース缶爆弾の導火線に所携のライターで着火し、これを同局庁本館屋上に投てきして爆発させ、もつて爆発物を使用したものである。

(証拠の標目)<省略>

(認定事実に関する若干の説明)

(一)  本件ピース缶爆弾が爆発物取締罰則にいう爆発物に該当することについて

爆発物取締罰則にいう爆発物とは、理化学上の爆発現象を惹起するような不安定な平衡状態において、薬品その他の資材が結合する物体であつて、その爆発作用そのものによつて公共の安全を乱し又は人の身体、財産を害するに足る破壊力を有するものを指称すると解すべきところ(弁護人は爆発物取締罰則の法廷刑の重さに鑑み、爆発物は破壊力の極めて甚大なものに限られるべきである旨主張するが、破壊力又は殺傷力の極めて微弱に過ぎないものはさておき、特に甚大なものに限定して解釈する理由はない。)、まず、本件ピース缶爆弾の内容物については、前掲鑑定書によれば、公安調査局屋上の爆発地点のアスフアルト及びピース缶の破片とみられる金属片から塩素酸塩、硫黄、亜硝酸塩が検出されたことから、ダイナマイト等のニトロ化合物または黒色火薬等の爆薬を使用したものと推定されること、また前掲第四回公判調書中の証人杉本の供述部分によれば、本件ピース缶爆弾は同人が大村から預つた二個のピース缶爆弾のうちの一個であり、残る一個は後日杉本が三潴末雄と共に分解して琵琶湖に投棄したものであるが、右分解した分のピース缶から右三潴が取り出したものは白色のどろつとしたのり状または粘土状の物質であり、同人はこれをダイナマイトである旨杉本に告げたことが認められ、次に述べるような破壊力の大きさをも併せ考えると、本件ピース缶爆弾には、爆薬であるダイナマイトが充填されていたことは容易に推認されるところであり、つぎに、破壊力の点については、前掲各証拠によつて認められる爆発音の大きさ及びこれが付近住民に与えた驚愕畏怖の程度、ピース缶の金属片、パチンコ玉、公安調査局屋上に敷設されたアスフアルトなどの飛散状況、爆発地点の同局屋上床面及び同屋上の給水塔側面のコンクリートの損傷状態、同局二階へ通ずる階段踊り場の窓ガラス一枚が破損した事実等に照らし、優に公共の安全を攪乱し、人の身体、財産を害するに足る破壊力を有することが認められ、本件ピース缶爆弾が爆発物取締罰則にいう爆発物に該当することは明らかである。

(二)  治安を妨げ人の身体財産を害する目的について

前掲各証拠によれば、被告人は本件ピース缶爆弾の成分、威力については明確な認識を有していなかつたものの、大村からそれが爆弾である旨告げられていたこと、少くとも人の近くで爆発させれば人を殺傷する程度の威力があるとの認識はあつたこと、右爆弾を公安調査局庁舎のどこをねらうともなく同庁舎に向つて投てきしたこと(被告人の当公判廷における「人のいない屋上をねらつて投げた」旨の供述は措信し難い。)などが認められ、人の財産である同局庁舎ないしその内部にいる人の身体を害する目的を有していたことは明らかである。

また、公安調査局は公共の安全の確保に寄与することを目的とし、破壊活動防止法に基づき、破壊的団体の規制に関する調査等を遂行することをその任務とする行政機関であるうえ、前掲各証拠によれば、被告人は同局を国家権力の象徴的存在でこれを爆破することは大いに意味があり、かつニユース性もあると考えていたこと、被告人らは、前記杉本方を出発して先ず京都府警本部に赴き、機会があれば本件ピース缶爆弾を投てきしようとして様子を窺つたが、警察官が哨戒していたためこれを断念し、直ちに本件現場たる公安調査局に向かつたこと、同局付近は民家、寮などが密集して建ち並んでいること等の事実が認められるほか、全国各地でいわゆる学園紛争が生じ、いわゆる過激派の実力闘争がまま見られた当時の世相等も併せ考えれば、一方において本件ピース缶爆弾がさほど強大な破壊力を有するものではなく、被告人も公安調査局庁舎全部を破壊しうるほどの威力があるとは考えていなかつたこと、被告人の心情としては伝統や慣習に枠づけられた日常性の破壊を第一義的に志向して本件犯行に及んだものであることなどの事情があるとしても、被告人において治安を妨げる目的すなわち公共の安全と秩序を乱す目的を有していたことを否定することはできない。

(確定裁判)

被告人は、昭和四八年四月九日大阪地方裁判所で兇器準備集合・建造物侵入・建造物損壊・監禁・監禁致傷の罪により懲役一年六月(二年間執行猶予)に処せられ、右裁判は同年四月二四日確定したものであつて、右の事実は検察事務官作成の前科調書及び判決謄本によつてこれを認める。

(法令の適用)

被告人の判示所為は、刑法六〇条、爆発物取締罰則一条に該当するところ、右は前記確定裁判を経た罪と刑法四五条後段の併合罪であるから、同法五〇条により未だ裁判を経ない判示爆発物使用の罪についてさらに処断することとし、所定刑中有期懲役刑を選択し、量刑につき検討するに、本件の罪質、態様、近隣住民及び世間一般に与えた不安感等に徴し、被告人の刑責が重大であることは多言を要しないが、本件爆弾を入手準備し、本件犯行を積極的に企図計画したのは前記大村であつて、被告人は受動的に関与したものであること、本件犯行による実害(物質的損害)は、幸いにも公安調査局屋上のアスフアルト及びコンクリートの一部損傷及び窓ガラス一枚の破損という比較的軽微なものに止まつたこと、被告人は本件犯行直前のいわゆる大阪芸大事件で懲役一年六月執行猶予二年の判決を受けたが他に前科はなく、本件で保釈後は兄の監督のもとでその建築事務所の仕事を手伝いつつ真面目に生活していること、現在では本件を省みて自己の精神的幼稚さを恥じ、反省悔悟の情も顕著に見受けられるなど被告人のため酌むべき事情もあるのでこれらを斟酌して、刑法六六条、七一条、六八条三号により酌量減軽した刑期の範囲内で被告人を懲役三年六月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中六〇日を右刑に算入し、訴訟費用中証人松本譲、同山本恵三、同棚橋敏に支給した分は、刑事訴訟法一八一条一項本文によりこれを被告人に負担させることとする。

よつて、主文のとおり判決する。

(川口公隆 田川雄三 天野実)

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